ありがとう、ぱぱん

しなまま

2014年05月25日 18:30

心の整理がつかないまま

だらだらと日常を送っておりました。


仕事の勉強もたまり

キャンプのレポもたまり
(それはいつもの事


ふとした瞬間に思い出しては実感してました。



もういないんだなぁって。
男の厄年は41。

そんなパパンが41になった15日後、嫁は生まれてきました。


そんな娘も嫁に行き、諦めてた看護師免許も取れた。


そんな矢先、パパンはお星さまになりました。


遺影の写真は鬼瓦な顔のパパンがニヤニヤと笑った顔で、棺に入ったパパンは入れ歯を入れてもらってニヤニヤした表情でした。

「ニヤニヤしやがって、こんにゃろめwwww」

笑いながら何度も声をかけました。

葬儀の準備最中はあまり泣く暇がなかったけど、読経を聞きながら泣きました。思い出話をして笑ったり泣いたり。

感情がアップダウンで忙しいなぁと感じてました。



父の葬儀が終わった翌日、元気のなかった嫁を殿はキャンプに連れ出しました。

不謹慎と思われるかもしれないけど、それは殿の優しさでした。道中でたまに父の話をしながら、笑いながらキャンプ場につきました。

父の事を忘れることはなかったけど、キャンプでたくさんの楽しさを感じました。


その日の夜、父と万華鏡を一緒に覗き込む夢を見ました。夢占いでは移りゆく心や生活の変化を意味するといいます。

父が死ぬ前に仕事でもすごく落ち込んで、正直せっかく免許を取った看護師の道を本気で閉ざしてしまいたいと考えていましたが少し思いとどまることができたように思えます。万華鏡の夢のおかげなのかなぁ。



ずっと調子の悪かった父が、あの日までこの世の生を送っていたのはこのためだったのか、もしくは合格するまで待っていてくれたのか。

残される家族としてはいい方に、いい方にと考えることで悲しみを浄化していくのだろうなぁと。看護の視点からも自分の心の変化を見ています。






人は忘れる生き物だ ... 全部覚えていたら脳はパンクしてしまうから「忘れる」機能はとても大切なものだ。悲しい感情はいつか忘れていくのだ、と学校で勉強しました。

けど

何もあたしの結婚記念日に逝かなくてもwwww

どんだけ放蕩娘でもそんな日付くらい覚えとくっつーの。まったく・・・・・父さんらしいなぁ。

せっかく見舞いに行きやすい病院に転院したからもっと会いに行く予定だったからー。

秋には花嫁衣裳着る予定だったから見せたかったからー。

もうちょっと親孝行したかったからー。

空気読んでるぞ!!!!って雰囲気で読めてないから―。



「あんないい女いない」って孫に自分の嫁を自慢してたパパン。

「取っ組み合いの喧嘩をした女はあいつしかいない」と娘に自分の嫁自慢をしてたパパン。

そっちでママンと仲良くしてますかー?

久々に会ってまた夫婦喧嘩してませんかー?

ママンは喧嘩すると家出したり着物買ったりと暴挙に出るのでほどほどにしてくださいねー。

ママン、父さん更にわがままになってっから気を付けてねー。



父さん、母さん

あたしを生んでくれてありがとー。










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